在学生の方へ


重要なお知らせ 災害に遭われた学生の方へ(日本学生支援機構:奨学金のお知らせ)

   この度、災害に遭われた学生の方々、並びにご家族、ご関係者の方々には心からお見舞い申し上げます。
   本学では被災した学生に係る支援金給付・奨学金貸与について、次のとおり取り扱っています。

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災害救助法適用地域の世帯の学生に対する貸与奨学金の緊急採用を希望される学生の方へ
   被災された学生、ご家族皆様の一日も早い生活の安定及び被災地の復興を願っています。

    ※家計急変の事由が発生してから12ヶ月以内に申し込んでください。
                                             【学生部】

東日本大震災の被災地リポート(その2:石巻)・・・学部長 石田和男

2011-06-04

石巻市役所を訪れた。庁舎は外見からすると無傷で、被害を受けた様子はない。庁舎の二階に上ると広いフロアーにさまざまな窓口があって、人々が問い合わせに集まっていた。活気に満ち溢れている。壁側のボードには、入浴情報、無料電話法律相談のご案内、被害者支援特別行政相談所、政府からのお知らせ、災害後の心と体の変化について、などさまざまな情報が掲示されていた。  

  今回の震災による津波で約18万人の人口の石巻市で犠牲者は約3,500人、行方不明者は約2,000人である。避難者は7,503人で、およそ100箇所の避難所に分散して住まわれている。 

  避難所をいくつか訪れてみた。震災から2ヶ月たった今でも被災者は、公民館、学校、体育館などに分散して生活をしていた。年配の人たちでチリ地震の津波を経験した人たちがいた。彼らは今回の地震でそのときには大丈夫だったので今回も大丈夫だと思ってしまった。これが油断を生み彼らの予想をはるかに超える津波に飲み込まれてしまった。女の人は後ろを見ずに丘を目指して一目散に駆け上って助かった。津波を見る暇もなかった。一方、男の人たちは普段から避難訓練の成果を出そうと、次から次とお年寄りの避難の手助けをしていた。まさか4mを超える津波が来るとは思わなかったのである。そして、町の中心街に住む大黒柱たちは波に飲まれてしまった。
  液状化も地震のすぐ後に始まっていた。北上川の河口付近に発展した石巻市は河口付近と海岸線(南浜町)は埋立地となっている。そこに液状化がおきた。多くの人々は地盤沈下によってできた段差のついた道路を進んでいった。実際はあちこちで立ち往生をしていた。みんなあわてていたのである。そこへ津波が襲った。必死でアクセルを踏んだが、前に進むこともままならない。みんなパニックを起こしていた。外から大声で「車を降りろ」と叫んでも聞こえない。手招きのジェスチャーに気がつきやっと外に出てきた人はすぐに山に上がって行き助かった。でも残念ながら、津波の去った後、車の残骸のなかでたくさんの亡くなった人が発見された。 

 

  津波後3日間ライフラインの断たれた状態が続いた。水、電気、食べ物のない避難所に押し込められていた。あまりにたくさんの人が押し寄せてきたので身動きが取れなくなった。立ったまま何時間も過ごさなければならなかった。夜は椅子に座って2、3時間交代で寝た。恐怖のせいか食欲が出ない。
  そのうちある男の人が浄水場にタンクを持って車で出かけていった。飲み水が運よく確保できたので次は燃料である。今度は別の人が防災用のガスボンベを探してきた。そして濡れずにいた米を炊いた。鰹節やとろろ昆布は老舗の乾物屋さんが提供してくれた。味噌としょうゆも老舗のお店のご主人の好意にすがった。それらで作ったおにぎりや味噌汁の味は格別であった。トイレや洗濯用の水は近くにある学校のプールの水が役に立った。そうした生活が2週間続いた。
  防災グッズはまったく役に立たなかった。これまで毎年夏物と春物を取り替えていたのにいざとなると考えられなくなるのである。自分のことは頭に浮かばなくなる、おばあちゃんはどこにいる、犬はどこにいると捜していると自分が何を身に着けているのすら気にかけられなくなる。
  今回、北上川河口付近に係留していたヨットによる被害が深刻であった。これまでたびたび市民からヨットが係留されていて夏になるとそこにゴミがたまり異臭を放つようになるので撤去してほしいという要求が出ていた。県や市はそれに手を焼いていた。今回津波が北上川を逆流してきた際にヨットが堰となりダム化し、川の外に水があふれ出て、市街地に大量の水をもたらした。また被害はそれだけにとどまらず、今度はヨットが街の中に進入してきて家に衝突し破壊するようになった。これは明らかに人災である。

   

  今後の生活を考えれば不安ばかりだ。津波で破壊された地域は地盤沈下しているのでそのまま家を建てるわけにもいかない。たとえ高い堤防を築いても問題の解決にはならない。とりあえずは仮設住宅に住むしかないだろう。しかしその先は見えない。市としても今後の方針を出せずにいる。
  市は手続きだけは済ましておけという。罹災証明、家屋全壊証明の手続きをしておけば市の義援金30万円、全壊者の補助金100万円が貰えるという。でもいまだに一円も下りていない。みんな家を直すにも、車を買うにも、なくなった家電製品を買うにもお金がいる。一日も早く給付を実行してほしい。
  それでも全国からの支援によりこれまで支えられてきたのも事実である。なかでも神戸の人たちの励ましの言葉がありがたかった。医師たちの活動も目立った。5月連休後も継続して支援活動をしてくれている。食べ物では四国の四万十の人たちによる具沢山の味噌汁がおいしかった。
  震災から2ヶ月たっているのでそろそろこころのケアーが大切になってくる。なかでも子どもたちのメンタルケアーが求められる。ある5歳の男の子は震災の当日目の前で車がぶつかり火事になった。母親がその子を背中におぶって逃げた。あちこちで火事が起きていて、結局3箇所も移動を余儀なくされた。さながら地獄絵の世界をさまよい歩き、この体験が頭からはなれない。今でも夜になるとそれを思い出して泣く。またある子は、海を見るのが怖い、ヘリコプターの音が怖いと引きこもったままである。アレルギー症状を出している。そのため毎日学校に弁当持参で出かけていく。反対にこれまで引きこもっていたが、みんなと協力して生活をしなければならなくなり、自分もそれを担うことでどういうことかわかったという子もいた。30人のこどもたちが30個のおにぎりを平等に分け合って食べた。19歳の引きこもりがちだった青年は、みんなとともに生活することで話し合う機会が増え、自分から話すようになった。毎日みんなと水汲みに行った。こもりようがない。最近では働くようになった。みんなのおかげといえよう。